3/15/2011

被災の辛さは被災者しか分からない

この度の震災には大きな影響を与えられた。
想定外の揺れ、及び想定外の津波で何もかもが破壊された。
命、衣食住、ライフライン…何よりも故郷を失った人々には慰めの言葉すら思い浮かばない。

メディアやインターネットで、被災者に対する温かい言葉が飛び交っているが、俺にはどうしても何も考えつかない。
どう言ったら彼らの気持ちが安らぐのか、彼らに希望が湧いてくるのかが、個人的には皆無である。
それだけの頭脳しか持ち合わせていない自分に些か苛立つ次第である。

当の俺も、地震の被害を受けたことがある。
1994年の北海道東方沖地震だ。
あれで俺は家を失った。

…とは言っても、屋根が落ちてきたわけでもなく壁が崩壊したわけではない。
家がちょっと基礎から落ちて住めなくなった、ってだけ。
季節も10月中だった事もあり、仮住まいが見つかるまでは普通に住めた。
電気や水道も数日止まっただけで、食料が底を尽きたりもしなかった。
ただ単に、家を建て直さなければならなくなっただけ。
災害控除等もあり、かえって得をしたぐらいだと思っている。
今回の被災者には、とてもじゃないが恥ずかしくて語れるような被害ではない。

阪神大震災の時にも同じ気持ちを感じたが、今回に至ってはそれをも上回ってる。

俺としてはアドバイスも何もあったもんじゃない。
とにかく「助かった人は元気を出してくれ!」と、心で思う他ない。

せめてもと思い、インターネットの更新を自粛している。
ツイッターについても役に立つであろう情報をリツイートする程度にしている。
地震が起こる前までは毎食を撮影してアーカイブしていたが、そんな更新など言語道断。
当面自分の中で禁止とした。

そんな考えを持っているだけに、あっけらかんとしたネット上の更新には目を背けたくなる。
商品の宣伝、それこそ食のアーカイブ、イベント告知、など腹立たしくてしかたない。
…まあ、そんな更新も悪気があってしているわけではないのだろうから直接批判はしないが、今ネットに書く事か?と思ってしまう。
そのテの更新をしているブログやツイートは暫くの間読む気にならないだろう。

今、津波の被災地は困惑と悲しみに満ちている。
更に原発被災地には恐怖が襲っている。
首都圏エリアには大規模な都市機能の麻痺が生じている。

政府及び関係機関の対応措置にも実際、波乱を呼んでいる。

…しかし、

じゃあどうすれば良い?

…と、問われたとしても、俺如きの庶民には良い案も浮かばず、現状を考えるとどんな些細な事柄の責任も負えない。
自粛しながら、度々役に立つか立たないような事をチマチマやりつつ過ごす他ない。
現状維持など主張している時ではない。
自分で出来得るだけを実行しつつ、世の中の変化に便乗する所存である。


一つだけ感想を述べるなら…

テレビを通してではあるが、東北地域の被災者を見ていると本当に辛抱強い人々だと思える。

欲しい物も、聞かれたから答えるだけで、特に騒ぎ立てている印象がない。
身内が救助されれば素直に感謝し、涙を流し嬉々とする。
溺れている人がいたら黙って助け、鬱陶しいであろうインタビューにも静かに応じる。

こんな底力を持った人々の心は、そう簡単に折れない。
…というか、そう思いたい。

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